英会話の勉強法まとめ⑨生涯学習編(おわり)
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生涯学習編
まだ期間限定での学習も始まってもいないのに気が早い話ではあるのですが、その後のことを少し書いておきたいと思います。
期間を限定して密度の濃い勉強計画を立て、一気に一定レベルに到達したあなたの英語はそうそうにレベルが落ちることはありません。
エンタメ教材(映画、ドラマなど)にも手が届きますし、英語で楽しめることが増えるからです。
ですが、そうは言っても英語に触れることを止めてしまえば学んだことはあっという間に失われていきます。
言語学習とは生涯学習ですから、計画を達成してそこで終わりではないのです。
では、その後はどうやって英語と関わっていけば良いのでしょうか?
突き放すようですが、
「自分なりの関り方を自分で見つけてください」
が回答です。
他人からああしたほうが良い、こうしたほうが良い、と言われた方法では、限定された期間ならともかく、ずっと続けていくことはできないからです。
人は残念ながら「良い」と分かっているものでも、ある感情が伴わなければ続けられないのです。
ある感情とは何でしょう?
それは語学習得が得意なポリグロットたちを見れば分かります。
彼らは勉強法にしてもバックグラウンドにしてもバラバラで、共通点がないように見えますが、ただ一つ共通しているものがあります。
それが「自分が楽しめる勉強法を探す」才能なのです。
人は「良い」と分かっているものではなく、「楽しい」と思えるものしかずっと続けていくことはできないのです。
生涯学習には「楽しい」という感情がどうしても必要なのです。
ではどうしたら「楽しいと思える勉強法」を見つけられるのでしょうか?
それは、自分自身を知ることです。
自分は何に喜びを感じるのか?
自分は人生において何を優先しているのか?
自分は将来どのようなことをしたいのか?
ここが分かっていないとその後の英語学習を途中で挫折しかねません。
たかが英語学習に対して話が壮大すぎると思われるかもしれませんが、英語学習イコール生涯学習、生涯学習イコール己と向き合うことなのです。
あなたを一番よく知ることができるのはあなた自身です。
だからその後の英語学習をどうするかは「自分で考えてください」という回答以外ないのです。
”楽しい”を探す才能
英語学習をしていくと、「自分が楽しめる勉強法を探す」才能があるかないかが明暗を分ける時が何度か訪れます。
代表的なのは下記の3つです。
① プラトー期
② 自分の趣味嗜好が変わった時
③ 周囲の環境が変わった時
① プラトー期
何かを学ぶ際、成果が順調に出る時期と、成長が停滞してしまう時期が交互に来ます。
右肩上がりだった成長曲線が高原(プラトー)(Plateau)のように横ばいになってしまう時期のことをプラトー期と言います。
このプラトー期はすべての英語学習者に訪れます。
頑張っているのに成長が見られないというのは苦しいものです。
多くの英語学習者がこのプラトー期に勉強をやめてしまうのです。
② 自分の趣味嗜好が変わった時
また自分の趣味嗜好が変わった時も英語学習を止めてしまいがちです。
英語圏のバンドが好きで英語学習を始めたのに、そのバンドに興味がなくなってしまった時。
英語ネイティブの異性を好きで英語にも興味があったけど失恋してしまった時、など。
英語学習のモチベーションとなっていたものが失われた時にも多くの人が勉強をやめてしまいます。
③ 周囲の環境が変わった時
周囲の環境が変わる際も勉強をやめてしまいがちです。
英語を使う部署から日本語のみの部署に異動になった時。
通っていた英会話教室が閉鎖になってしまった時、など。
多くの人がこれらの時に挫折してしまいます。
逆に言えば、これらの時期を乗り越えさえすればドングリの背比べ状態から一つ抜き出て、日本に一握りしかいない英語エリートになれるのです。
ここで真価が発揮されるのが「自分が楽しめる勉強法を探す」才能なのです。
語学学習の達人ポリグロットたちは実に上手に危機を乗り越えます。
例えば、朝早くにジョギングしながら英語学習をしていた人がいるとしましょう。
爽やかな朝に心身ともにリフレッシュして充実感も味わえて心から楽しんでいたのに、結婚し子どもを授かり、今まで使えていた朝の時間を自分のために使えなくなってしまいました。
ここで英語学習自体を諦めてしまう人が多い中、楽しめる勉強法を探すことに長けた人たちはすぐに別の勉強法を模索していきます。
「朝ジョギングしながらの英会話学習がダメなら、今度は赤ちゃんに英語の絵本を読んであげられるように幼児向け英語を勉強するのはどうだろう? もしかしたら自分の子どもがバイリンガル・キッズになるかも? うわっ、楽しみ!」
と上手に気持ちを切り替え、別の楽しみを見出していくのです。
この「自分が楽しめる方法を探す才能」は、英語学習だけでなくあらゆる面で役に立ちます。
仕事においても、家事においても、趣味においても。
普段からこの才能をはぐくむことを意識しましょう。
最初は無理やりであっても、意識し続けていればそのうち自然と「自分が楽しめる方法」を模索するクセがついてくるでしょう。
その時にもやっぱりキーとなるのが、自分で自分のことを良く知っているかどうかなのです。
面倒くさがらずに一度自分自身に向き合ってみる時間を設けてはいかがでしょうか?
英語を通じて実現したい夢
最後に私の夢を少々。
お暇な方は読んでみてください。
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自分は英語が不得意だ、と思っている人が日本にはたくさんいます。
しかしたいていの場合、才能の問題ではないので、正しい評価とは言えません。
・中学高校と英語を習ったくせにしゃべれない。
→学校の授業は学習指導要綱を遵守することが最優先
→点数評価できることが前提の勉強法に偏っている
→そのためしょっぱなから文法の勉強を始めてしまっている
→スピーキング、リスニング、リーディング、ライティングも同時に勉強
→尻上がりに成長するタイプの子に早い段階で低評価をつけざるをえず、ヤル気を挫く
→そもそも中高の1600時間の勉強でしゃべれるようになるはずがない
→しかも会話の練習は1600時間のうちの十分の一にも満たない
これでは英会話ができなくて当然です。
むしろ中高の授業だけで英会話ができる人がいるとしたらとんでもない天才です。
学校の英語の授業は文部科学省、教育委員会、教職員のためのもので、彼らがお給料をもらえる仕組みを維持することを第一の目的としています。
教育関係者の、教育関係者による、教育関係者のためのものであり、子どもの英語力を伸ばすことは二の次なのです。
学校教育なんてなくしてしまえばいい、などという青臭いことを言いたいわけではありません。
教職は聖職とはいえ、おまんまが食えなければ担う人がいなくなります。
先生たちの給料は税金から捻出されます。
そして税金を投入する以上、給料に見合うだけの仕事をしているかどうかをきちんと確認しなければならず、確認するためには教育要綱という基準を設けて仕事ぶりを評価しなければならないわけです。
これはしごく真っ当なことであり、何らおかしいことはありません。
教育関係者が食べていけない世の中なら教育自体が衰退してしまうので、例え子どもの力を伸ばすことが二の次だとしてもなくなってしまうよりはマシでしょう。(もちろん改善の余地は大いにありますが)
私も自分なりに学校での英語教育を子どもの英語力を伸ばすことを第一の目的にして構築する方法はないものか考えたこともありましたが、いい案が浮かびませんでした。
英語を点数で評価しようとするとどうしても歪みが出てしまう。
しかし評価制度そのものをとっぱらってしまうと、それにあぐらをかいてなまける税金ドロボーのような先生が出る危険性があります。
また明確な評価基準がなければ感情論でものごとを判断する人がしゃしゃり出てきて、収拾がつかなくなる恐れもあります。(いわゆるモンスターペアレンツみたいな人たち)
そう言った時に「これこれこういう基準を元に行動しているのです!」とハッキリ言えるものがあるほうが現場が混乱しなくて済むのです。
学校の英語教育に変わって欲しいと思いつつも、良い代案を提案できない自分がバッシングだけするのはちょっと違うなという気がします。
つまり、何が言いたいかと言うと、学校の授業が子どもの力を伸ばすことを二の次にしているのだから、学生時代の評価をもって自分には英語はムリなんだと諦める必要はこれっぽっちもない、ということです。
学生時代の外国語の成績がボロボロだったポリグロットたちが数多くいることからも間違いありません。
これから自分たちの、自分たちによる、自分たちのための勉強法をすれば良いだけの話です。
日本語という言語を話せている時点で英語という言語を話せる才能を持っているのは確かであり、話せるようになることを第一の目的として勉強していけば必ずしゃべられるようになるのです。
今回は日常会話に焦点を絞りましたが、更なる上の会話力を手に入れたい人は最終的には読み・書きの勉強も必要になってきます。
読むこと・書くことをないがしろにしていると読解力に差が出て、同じ言語をしゃべっているはずなのに間違った解釈をしてしまいがちです。
日本語であっても、子どものころから読書をしている人の日本語と、そうでない人の日本語は違いますので、英語でも同じことが言えます。
ただ、読み・書きを習得するのは全世界の七つの海を制覇するようなものです。
なによりもまずは内海から大海へ出ることを目指し、会話を磨きましょう。
小さな島国から世界を目指すには海を渡らなければなりませんが、きっと英語は世界への扉を開ける大きな推進力となってくれるでしょう。
そしてこれは私の夢なのですが、できれば多くの日本人が手を取り合って大海に出られればいいなぁと思うわけです。
どうしたら英語が上手くなるかを調べていく過程でラーニング・ピラミッドのことを知ったのですが、私はこれを知った時、すごく嬉しい気持ちになりました。
英語を勉強する際、ふつう人は、
「これだけ高い授業料払ったんだからちゃんと教えてよ!」
「もっと簡単に学べる方法はないですか?」
「効率的な勉強法教えてください!」
と、与えてもらうことばかりを要求します。
思ったような成果が出ないと、学校が悪い、教師が悪いと文句たらたらな人も多いです。
でもラーニング・ピラミッドでは、「人に教えようとする人」、つまり「人に与えようとする人」が報われる図式になっているのです。
勉強の世界って、与えてもらうことばかりを要求する人よりも、与えることのできる人が一番得をするんだ・・・。
こずるく立ち回って、楽して何かを得ようとする人が得をする事が往々にして起こる世の中なのに・・・。
なんて美しい世界だろう、と嬉しく思ったのです。
よく英語ができる人が、できない人に向かってマウントを取ることがあります。
バカにしたり、けなしたり。
それって本当にもったいないと思います。
自分より英語のできない人がいたら、教えてあげればいいのに。
助けてその人が自分より英語が得意になって、自分の活躍する場が奪われるのは困る、と思っているなら、すっごいちっちゃい考え方だと思います。
もはやライバルは日本人同士だけという時代じゃないので。
英語が得意な人が苦手な人に英語を教え、その人がさらに不得意な人に教えてあげる、そのWin-winの連鎖が広がれば日本全体の英語力の底上げになり、ひいては日本人の誰にとっても得るものが大きいのになぁって思います。
私もブログの中でけっこう辛辣な言葉とか暴言とかを吐いてしまいましたが、あくまでも一人でも多く英語に自信を持てる人が増えたらいいなぁという叱咤激励であって、蹴落とすつもりはいっさいありません。
Win-win連鎖で「日本人は英語ヘタクソ」という状態から脱却できたら、こんな美しいことってないと思いません?
私は英語を通じてそんな世界になったらなぁと夢想しております。
なかなか実現が難しい夢ですけど。
さて、いろいろ書いてきましたが、最終的に勉強をするのは皆さん自身です。
このブログを読んだからといって英語がしゃべられるようになるわけではありません。
しかしウィリアム・フォードの言葉にこんなものがあります。
平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師 は子どもの心に火をつける。
このブログを読んだあなたの心にヤル気の火が灯ったなら嬉しいですね。
(おわり)
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